【森のエッセイ】No.5 人生の汽水域。
今、森の中で書き始めました。
Macのワイヤレスキーボードがあればスマホをモニターにどこでも書斎になってしまう時代です。
人生の汽水域を迎えようとしています。 「人生の汽水域」って何? とお思いかとお思います。
すみません、僕の造語ですが、今の僕にしっくりくるのがこんな表現です。
汽水域とは川からの淡水が海と出会い、海水と淡水の入り混じるエリア。淡水でも海水でもない絶妙なグラデーションゾーン。お酒なら、ハーフ&ハーフと言うところでしょうか? なぜハーフ&ハーフかと言えば、来年僕は山国暮らしと都会暮らしの時間がやっと半々になるからです。
18歳で上京した方は通常ならば36歳でハーフ&ハーフを迎えます。でも、僕は都内の大学卒業後、地元新聞社にUターン就職して20代は信州で過ごしました。なので信州時間は計26年間。52歳にしてようやくのハーフ&ハーフです。
山奥の源流から出て来た人生が、都会と言う河口でようやく海と出会い、もうすぐ汽水になれそうだ、そんな気分なんです。 そんなの数字上の計算に過ぎないと思われるかもしれませんが、意外とそうでもないんです。
僕は会社勤めを8年してフリーになりましたが、会社員意識が抜けるのにぴったり同じ時間の8年かかりました。これは脱サラ作家の松村友視氏からも撮影時に同様の体験をしたと直接聞いたし、同氏の先輩作家も同様の体験をしたそうです。
もうすぐやっとアウェイ感が抜けるかも、という淡い期待があります。
僕はアウェイ全開の写真家です。
社会人を信州でスタートしたので、当然周囲は同郷の人ばかり。まず同郷同士だけが持つ空気感ありました。信州人は初対面で名刺交換した後、ほぼ必ずどこの生まれだと聞き合います。同じ県内でもエリア(北信、中信、南信など)で気性の違いが微妙にあったりします。仕事を進める上で、それを知るだけで相手の距離感がぐっと近づきます。
東京で仕事を始めた時、出身地を聞きあわないことに僕はびっくりしました。
目の前の人は、いったいどこの?だれ? という思いばかりが膨らみました。 だから、写真家として再上京時、アウェイ感は全開でした。 街にも詳しくない上、写真界とは接点ゼロ。キャノンのプロ会員(修理やメンテなど特権が得られます)になろうとサービスセンターに行くも門前払い。 自分では写真家として独立したつもりでいましたが、今振り返ればほぼ自称写真家のレベル。仕事で相談できそうな人は東京に2人しかいませんでした。
最初の年の年賀状は95%が長野方面からで愕然とした思いがあります。
ところで森のキャンピングカーと汽水域、なんの関係が? とお思いだと思います。
ここは都会と地元の中間地点、僕にとっては物理的な目に見える汽水域なのです。 もちろん、地理的には信州側にかなり近いです。でも住所は山梨県。県境を少し越えただけで、ここは地元の生活圏には入らないエリア。親戚もいなければ、知り合いもいない。
北に向かえば地元、南下すれば都会。一種の分水嶺。別の言い方をすれば、どちらにも所属しないニュートラルな場所です。 僕はフリーで仕事をしているので、もろもろ所属組織はないのですが、 ここにくると、さらに所属意識が希薄になります。
ここで一人ぼんやりしていると自分の職業や名前まで忘れてしまいそうな気さえしてきます。目に見えるもの、見えないものすべてから距離を置けるのがこの場所であるのかもしれません。
上空からドローンで。葉が茂ってくると完全に隠れてしまうので4月中旬撮影。
逆説的な表現かもしれませんが、自分の仕事さえ忘れそうな場所だからこそ、 普段は、見えない、気付かない素の自分のこと、仕事のこと、これからのこと、いろんなことが日常にはない視点で見えてくるのも事実です。
ここは汽水域でありながら、どこか高台にある人生の見晴し台のような、不思議な場所であり、時間なのです。
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