【森のエッセイ】No.7 そもそもなぜ森?
そもそもなぜ週末の森がほしいと思ったのか?
今回はそれについて書いてみようと思います。
20年前にさかのぼります。 当時、僕はフリーになったばかりで、基本かなり暇でした(笑)。
知り合いの日本女性がロシア・カムチャツカ半島の町の大学で日本語教師をしていて、 ある日、ロシアから手紙がきました。 彼女はロシア語習得を目指していて、レベルアップのため、あえて一般家庭にホームステイしていました。だから、大学からあてがわれたアパートの一室は使っていない状態。「希望者にはタダで貸し出し中」という半ば冗談の提案に僕が乗ったのです。
フリーになった最初の一夏、僕はロシアで過ごしました。 どうせ暇だし、向こうで何か面白い写真でも撮れればという思いもありました。 そこで、「ダーチャ」という存在を知りました。 ロシア人は平日は市街地暮らしでも、週末になるとおのおの郊外にある自分のダーチャに出かけ、菜園を作ったり、お茶を楽しんだり、平日とは別のライフスタイルを過ごしていることを知りました。
こう書くと、別荘のこと?と思われる人が多いと思います。でもそれは日本人的な悲しい発想。ダーチャはお金持ちだけでなく、ごく一般庶民が普通に所有しています。広大な土地にあるので、許されることかもしれませんが、僕はすっかりそのライフスタイルに魅了されてしまいました。
当時、ロシア経済には多々問題はありましたが、少なくとも庶民はこんな豊かなライフスタイルを送っていることを知りました。子供たちに夏休みの過ごし方を聞くと、「もちろん、夏中ダーチャよ!」と自慢気に返されました。
その後、東欧、北欧など旅した時もやはり同様なライフスタイルを持っていることをしりました。コロニーニーべ、サマーハウスなど呼び方はまちまちですが、質素な小屋で過す時間を大切にしていることは共通していました。
日本人の庶民の休日と言えば、混み合う国内外の観光地へ果敢に飛び込むか、実家に帰省するかの2択ぐらいしかありません。いずれにせよ、お金を使って疲れて帰ってくる。昔は平日にあった祝祭日もいつの間にか週末の連休に取り込まれ、政府の目指す消費活動促進にのっけられているし‥。
けれど、ダーチャはその逆。お金は極力使わずに過ごす。それどことか、小屋をDIYしたり、菜園の手入れなど、むしろ生産活動さえしている。 少なともオレの人生には、ダーチャが必要だ、とすっかり熱くなっていました。 その後、数年はダーチャのことは忘れていたのですが、結婚後妻とチェコやハンガリーを旅した時に再びたくさんのダーチャ(呼び方は違いますが)を目撃して、ダーチャ熱が再熱。長野の実家に使っていない林があったので、勢いで半年後には建てていました。
もう10年以上も前に自力で建てたダーチャ。薪ストーブあり。うちの娘は生後2カ月から泊めました。3,4歳のころが一番使いました。
このダーチャ、大変気に入っていたのですが、一つ問題が‥。
周りが普通の住宅街に囲まれていました。
田舎にはよくあることですが、「また、小林さんちの変わり者息子がおかしなことをやり始めたわ」という視線が痛くて(笑)。山村で小さな世界でいろんなことがすぐに伝わるものです。もちろん、田舎の人がダーチャというライフスタイルを理解してくれるはずもありません。
これが、例えば八ヶ岳の人里離れた森の中にあったら、どんなに素晴らしいか、という思いはやっぱり消えませんでした。
ソローの「森の生活」も愛読書だったこともあり、僕の森&小屋熱は一軒建てただけでは収まらず、地下マグマのようにふつふつと次の計画に向けてまた溜まり始めていたのです。 そして、これは僕個人の長年の疑問でもあるのですが、 なぜ僕意外の日本人は、ダーチャ的なライフスタイルを求めないのか? ヨーロッパ圏ではわりとスタンダードなのにその存在を知らないだけなのか。
日本は北欧ブームが長いのに、向かう興味はインテリアやデザインばかりで、その背景にある森を含めたライフスタイルになぜ向かわないのか。例えば僕の日本知人でスウェーデンに留学し、国際結婚後して同国在住ですが、夏はやはりサマーハウスという質素な小屋で過すそうです。
そして、これは僕の体験談からいえば、日本でも国産の新車一台分の予算さえあれば、土地と小屋セットで工夫次第で十分手に入ります。 そんなライフスタイル特にほしくない、と言われれば、まぁ、それまでですが‥。
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